モスタルのシンボル、スターリ・モスト

o0548041112576289122ネレトヴァ川が中央を流れ、
その両側を美しいアーチを描いた橋

「スターリ・モスト」

によってつながれている町が、
このモスタル。

ボスニア語ではモスタルは

「橋の守り人」

を意味します。

o0548041112576291762その名のとおり、モスタルは
この橋を中心に発展してきた町です。

o0548041112576295168町にはオスマン朝時代の影響が色濃く残り
オリエントの香りが漂います。

o0548041112576316110お土産屋さんが、数多く並ぶ
ブラツェ・フェイツァ通り。

o05480411125762961461絨毯が売っているところなんか、
まるでトルコですね。

o0548041112576296703このショップの品揃えなんかは、
トルコそのものです。

o0548041112576312732民族衣装もオスマン朝の影響がうかがえます。

o0548041112576300409そんな町の象徴でもあるこの橋も
紛争中の1993年11月9日に
破壊されてしまいました。

ユネスコの協力で復元されたのは、
2004年になってからです。

当時の技法によって切り出された
1088個の石を使った再建工事には

日本円換算で、約15億円が
費やされました。

o0548041112576302716町には内戦の惨事を忘れるな!
との意味を込めて

DON’T FORGET

のメッセージが刻まれています。

o0548041112576303745モスタルを代表する橋の
スターリ・モストですが

1566年、オスマン朝支配下の
時代に建てられました。

橋台を用いず、両岸からアーチ状に
かかる橋は、見た目が美しいのはもちろん、
建築技術の高さもうかがえます。

o0548041112576307412アーチ状になっているため、
歩きにくいのは仕方ない。

o0548041112576308329橋の継ぎ目。

o0548041112576309672スターリ・モスト橋からの眺め。

正面のモスクは1618年に
建てられたイスラム寺院の

コスキ・メフメット・パシナ・ジャーミヤ

o0548041112576318280トラブル防止のためなのか、
自由に行き来はできますが

モスタルの町はネレトヴァ川を挟んで

東側はムスリム人
西側はクロアチア人

と住み分けがされています。

写真を撮影したのは
西側になります。

島国の日本人からは、
民族紛争というのは
想像が付かないですね。

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