オブジェが立ち並ぶ中庭が
印象的なパレ・ロワイヤル。
今ではモダン・アートの多い
パレ・ロワイヤルですが
その歴史は古く1632年まで遡ります。
枢機卿リシュリューが
ルイ13世の住んでいた
ルーブル宮殿の近くに
自分の館を建設したのが始まり。
その後、1642年にリシュリューが
亡くなると、遺言の内容から
建物は王家に贈られる形となり
王宮(パレ・ロワイヤル)と
呼ばれるようになりました。
ルイ13世の死後は、わずか5歳で
フランス王に即位したルイ14世が
パレ・ロワイヤルに住む事になりますが
30年戦争を継続するために重税を課す
政策は相変わらず継続されたため
それを不満に思った貴族や民衆が
王室に反旗するフロンドの乱が
起こってしまい
ルイ14世は命からがらパリを脱出。
この恐怖経験からルイ14世は
パリを嫌いになってしまい
パリ郊外にヴェルサイユ宮殿を建て
(電車で30分位の距離。馬が移動手段の当時は
もっと時間がかかったはず。)
王が絶対的な権力を行使する
絶対王政の確立へとつながります。
ルイ14世がヴェルサイユ宮殿に
移り住んでから空き家となった
パレ・ロワイヤルは
弟に引き継がれ
この回廊には、現在もほとんどが
商店となっているほか
絵になる印象的な回廊のためか
映画のロケなどにも
使用されるようです。
当時、パレ・ロワイヤルは
警官の立ち入りが禁止されて
いたため
革命化や娼婦のたまり場となり
フランス革命の最初のデモ行進が
出発したのもパレ・ロワイヤルでした。
フロンドの乱で命からがら
パレ・ロワイヤルから脱した
ルイ14世が絶対王政を確立し
絶対王政の象徴的とも言える
ヴェルサイユ宮殿を建築し
その後、時代は流れて皮肉にも
パレ・ロワイヤルから始まった
フランス革命のデモ行進により
ルイ16世の時に絶対王政が
壊滅するという結果となります。
絶対王政の誕生と滅亡となった
場所と言ってもいいような
パレ・ロワイヤルは
ヴェルサイユ宮殿ほどとは
言わなくても
もうちょっと注目を浴びてもいい
スポットのような気がしますが
現在、そんな歴史があったとは
感じさせないような雰囲気で
非常に静かな場所。
観光スポットというよりも
憩いの場所的なスポットに
なっている印象がしました。
確かに車の騒音なども
ほとんどしなくて
木々の緑も美しい。
パリの街歩きをして
一息つきたいときには
ピッタリの場所だと思います。
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