ベルリンのノイエ・ヴァッヘ

DSC09462ベルリンの目抜き通りである
ウンター・デン・リンデン街にある

「ノイエ・ヴァッヘ」

と呼ばれている建物。

衛兵所として1816年に
建てられたのが始まりです。

かつて当時の国民哀悼の日に
ヒトラーも足を運んだ
ノイエ・ヴァッヘですが

戦後の東西ドイツ時代には
東ベルリン名物と言われた

国家人民軍の衛兵が
ノイエ・ヴァッヘの前を
行進していたそうです。

東西統一されて1993年からは、
戦没者に対するドイツ連邦政府の
中央追悼施設として

11月の第3日曜日に定められた
「国民哀悼の日」

の式典会場になっています。

第一次世界大戦以後の

・ドイツのすべての戦没兵士
・空襲の犠牲者
・旧ドイツ東部領土の故郷を追われた避難民
・ドイツと戦ったすべての国の軍民問わない犠牲
・ナチスドイツに殺されたユダヤ人
・ロマ民族や同性愛者などすべての人々
・ナチスに抵抗して死んだ軍人や民間人

などが追悼の対象となっているようですが

加害者と被害者が
共に追悼されていることに
異議を唱える人もいるそうです。

目抜き通りにあるノイエ・ヴァッヘですが
施設の趣旨的に、観光客が大勢やってきて
大混雑するという感じではなく

足を運ぶ人は少なくて
静寂な印象を受けました。

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