ロンドンの大英博物館

3入口が印象的な
ロンドンの大英博物館。

この博物館は、世界最高の
博物館として知られ、

世界中の美術品や書籍など
700万点近くが収蔵されていて、
そのうち約15万点が展示されています。

そのため、一日で見るのは
不可能とされていますが、

これだけの規模にも関わらず
入場が無料なのには驚きです。

この大英博物館は、
古美術収集家の

ハンス・スローン

が遺言で、生前に収集していた
8万点ものコレクションを、

自分の死後に一般の人にも
見てもらえるように

管理してほしいとの希望から
スタートしました。

大英博物館の収蔵品は、
ほとんどが個人の収集家の
寄贈によるものですが、

中には大英帝国時代の植民地から
持ち込まれたものもあり、
収蔵品の変換運動もおきています。

これが、大英博物館が

「泥棒博物館」
とも言われている理由です。

ただ、大英博物館に持ち込まれたことにより、
遺跡泥棒から遺物を守り、

出土品の管理がしっかりとされ、
貴重な出土品の状態が
保たれているという声もあります。

確かに、エジプト関係の品などは、
エジプトの考古学博物館で
見るよりも状態もよく、

見やすいように並べられていて
見学がしやすかったです。

エジプトの考古学博物館は、
「ただ置いてあるだけ!!」
って感じもしました。

このような博物館は、
通常、館内での撮影は
禁止されていますが、

大英博物館は基本的に
フラッシュを使用しなければ、
撮影可能となっています。

4博物館の中庭。

5世界中から観光客が来るだけあって、
お土産屋さんも充実。

6この博物館に来たかった
最大の理由でもある
ロゼッタストーンと対面。

みんな目的は同じなのか、
やはりこの周辺は
混雑していました。

大きさは

縦114cm
横72cm
厚さ27.9cm

と巨大なものではないですが、
岩ですので重量が760kgもあります。

ロゼッタストーンは、
1799年にナポレオンが
エジプト遠征の時に、

エジプトの港湾都市である
ロゼッタで発見した石碑です。

このロゼッタストーンには、
上から順に、

古代エジプトのヒエログリフ
古代エジプトのデモティック
ギリシャ語

の3種類の紀元前の
文字が書かれています。

この3種類の文字は、同じ内容が
書かれていると推測され、

何人もの学者が解読を始めますが

「古代エジプト学の父」

とも言われている

ジャン・フランソワ・シャンポリオン

というフランスの古代エジプト研究者
により解読されました。

この人は20歳までに

ラテン語
ギリシャ語
ヘブライ語
アムハラ語
サンスクリット語
アヴェスタ語
パフラヴィー語
アラビア語
シリア語
ペルシャ語
中国語

などを習得するという
語学の天才でした。

そういったことを考えると、
ロゼッタストーンを

解読したことも納得できます。

ちなみに!!

ロゼッタストーンの解読後は、
この手がかりをキッカケに、

それまで謎だったエジプト語の
文章も次々と解読されました。

1972年には、シャンポリオンによる
解読150周年を記念して、

ルーブル美術館でも
1ヶ月展示されたそうです。

発見された場所や歴史的な
意味を考えると、

ロゼッタストーンは、本来なら
エジプトの考古学博物館に
あってもいいと思います。

エジプト側は、ロゼッタストーンを
返してくれといい続けています。

ただ、もしナポレオンがこの石碑を
エジプト遠征で発見できずに
今現在も見つかっていなかったら、

1790年12月23日に生まれ
1832年3月4日で生涯を終えた

語学の天才シャンポリオンに
解読されることもなく、

そのため古代エジプトの
文章も解読されず、

そもそもこのようにして博物館で
見ることもできなかったかも
しれないので複雑です・・・・・

7ロゼッタストーンは、
当然ながら文字が描かれた
部分だけが注目されます。

文字が描かれた部分は平面なので、
石自体もツルツルして

形が整っているのかな~
とずっと疑問に思っていましたが、

裏面をみて疑問解決!!

後ろはゴツゴツしてました。

9狩りの様子を描いたレリーフ。

10ギリシャの神殿の
ような建物ですが、

これは
ネレイデス・モニュメント

と呼ばれる紀元前380年に
トルコ南西部のリキュアの都の

クサントスの権力者と家族の
ために建てられたお墓です。

11ギリシアのエリアで
注目されているのが、
パルテノン神殿の彫刻郡。

ギリシアとの返還問題も
たえないようですが、

それもそのはず!!

パルテノン神殿といったら、
ギリシアの観光名所で、

旅行のパンフレットにも
必ず掲載されている世界遺産です。

古代ギリシア時代に、アテナイの
アクリポリスの上に建設された

アテナ神を祭る神殿が
パルテノン神殿。

ただ、現在残る神殿は、
紀元前492年から449年に起きた

ペルシャ戦争後に建設されたもの
と言われています。

もともと、神殿として
建設された建物ですが、

15世紀になると東ローマ帝国を
滅ぼしたイスラム教のオスマン帝国が、

弾薬庫としてこの神殿を使用し、
そのためにヴェネチア軍の砲撃を
受けた際に大破してしまいます。

その後、1800年代になると、
大英博物館に彫刻の大部分が
運ばれました。

そして、現在、このような形で
展示されています。

12返還問題に揺れる
パルテノン神殿の彫刻郡。

室内で保管してあるから
この状態が保てているわけで、

パルテノン神殿に元通りに
設置したら酸性雨などで
彫刻が痛んでしまうから、

ここにある方がイイ!
というのが英国の主張です。

13エジプト関連の収蔵品コーナー。

14ラムセス2世の像。

ラムセス2世は、古代エジプト
第19王朝のファラオ。

1881年に発見された
ラムセス2世のミイラは、

エジプトの考古学博物館に
収められています。

ミイラの分析の結果、
古代エジプトの平均身長が

165cm前後だった頃に、
身長は183cmもあり、

平均寿命が35歳前後の時代に、
死亡推定年齢は88~92歳と

ラムセス2世は当時では
カナリの体格&長寿でした。

15古代エジプトでは、猫を
神として崇拝していました。

崇拝の対象になった理由ですが、
猫の瞳の鋭い変化は、

太陽の回転に従うもので、
闇の中で物を見ることができるのは、

夜に太陽が猫の目を通じて
下界を見るためだと
考えられていたからです。

16スカラベ(フンコロガシ)
の巨大な像。

フンコロガシというと
糞を転がす汚いイメージが
ありますが、

古代エジプトでは、スカラベは
創造神ケプリの象徴とされ、
太陽神と同一視されました。

再生や復活の象徴として
崇拝されたため、

このような石や印象が
作られました。

歴代のファラオが眠る
王家の谷の壁画にも
スカラベが描かれています。

17保存状態のよいモザイク。

18色がハッキリと残っていてスゴイです。

19エジプトといったらミイラ。

20棺桶を含めていくつか
展示されていました。

21色がハッキリ分かるくらいに
保存状態がいいので
ビックリしました。

22これは、あの世に行っても
お手伝いさんがいなくて

困らないようにと、
一緒に埋葬した人形です。

23紀元前3100年頃に
埋葬されたという

ジンジャーと呼ばれる
赤毛のミイラ。

遺体が完全な状態で残されている
貴重なミイラです。

24ミイラは苦手な人もいるでしょうし、
他にも写真を撮影しましたが、
この辺にしておきます。

25
こちらは日本からの
展示品という土偶。

ひょうきんな形をしています。

他にも数多くの展示品を
撮影してきましたが

キリがないので、
この辺にしておきます。

これだけの展示物を見る事が
できるにも関わらず

入場料が無料なので
大英博物館はすごいですね。

ロンドンに行ったからには
絶対に足を運んでおきたい
オススメのスポットです。

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